「本場」という言葉に騙されないこと

飲食店の「キャッチコピー」でもっともよく使われる言葉に「本場○○の味」というフレーズがあります。それは「ジャンル」が特定されたお店であるほど使いやすい言葉になります。そのような言葉はもっとも人に伝わりやすく、私たちがいかに「権威とその信頼性」に対して弱いかがわかるというものです。

「本場」とは、料理の場合はその料理発祥の土地であったり、国であったりします。その本場の土地のその料理は「おいしいもの」なんだともん目的に信じてしまいがちです。ですが、実はそうではない場合の方が多いのです。例えば、中国の方と日本に住む私たちでは普段食べているものが全然違います。もちろんそれは「風土」が違うからです。そして「文化」が違うからです。違う文化、違う風土は、「違う料理」を生み出すのです。私たちは日本に住んでいます。日本の風土と社会がもたらす「独特」の料理があるものです。そして、それは「日本料理」だけに限ったものではないのです。

日本の家庭で作られる中華料理は、もはや「日本の料理」なのではないでしょうか。日本の食材で、日本に住む私たちが「おいしい」と感じることのできる料理は、もはや「本場」の味、「本場」の料理とはまったく別物になっているのではないでしょうか。日本に入ってきた時点から、その料理は独自の進化、日本という環境に馴染むための進化を始めているのです。そうして長い間進化、変化を続けた料理はもはや「本場」ではないのです。ですが、私たちは「美味しい」と感じるのです。そのような私たちの「舌」に、「本場」の味が合うのでしょうか。もしかしたら、戸惑ってしまうのではないでしょうか。

ですから、「本場」がおいしいというわけではないのです。たとえそのお店が「本場の味」を再現していたとしても、私たちにとっては「未知の味」に感じてしまうのかもしれません。そのような料理を前にして、食べてみて、「美味しい」といえなかった場合、美味しいと感じることが出来なかった場合、次の瞬間に考えしまうのは「損をした」ということではないでしょうか。ですから「本場」という言葉に惑わされてはいけないのです。

本場の味が日本人である私たちの口に合うのかどうかはわからないのです。高いコストで本場の料理人、そして食材を仕入れていたとしても、日本の食材で作られた「家庭化した料理」にはかなわないかもしれないのです。それはその料理が悪いわけではありません。「文化」や「環境」の違いが原因なのです。

ですから、なんでもかんでも「本場」であればいいというわけではないのです。私たちが望むのは「美味しい料理」であるはずです。たとえそれが「本場」の味ではなかったとしても、おいしければそれで私たちは満足なのです。さまざまなジャンルの料理が日本に入ってきています。そして私たちは飲食店に出向くことでいつでもその料理を楽しむことができるのです。ですがそれはある種「日本化」されたものであるということを忘れてはいけません。本場の料理は、実際にその土地にいって食べてみればいいのです。そこで美味しいと感じるかどうかは別にしても、「本場の看板」に「騙された」と感じないための唯一の方法は、こちらから「本場」に出向くことです。

 

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