厨房が見える飲食店の狙い
飲食店の中には「料理を作る現場そのもの」の厨房がそのまま丸見えになっているようなつくりの店舗があります。それは偶然などではないことは明白です。わざとガラス張りの厨房にしたり、カウンター越しに見えるようにしているのです。それは私たちの食欲をそそるための演出でもあります。そのような演出によって私たちは料理を「目で楽しむ」ことができるのです。「目で楽しむ」こととは、決して家庭では再現できない調理方法などです。家庭では再現出来ないほどの大火力での調理、家庭では目にすることのないような調味料、そしてなによりも料理人のプロの腕さばきを目のあたりにすることで、自分のテーブルに出てくる料理に対する期待感が膨らむのです。これは飲食店だけでしか行えない極上の演出です。スーパーのお惣菜はあらかじめ完成した状態で陳列されています。お弁当も同じく、すでに完成したものです。
そのよう「できあい」のものではなく、「食材」が「料理」に変わっていく様はまるで「魔法」のようであり、料理人は「魔法使い」のごとく、自由に包丁を振るい、火を操り料理を完成させていくのです。そのような過程はとても魅力的であり、ひとつの「エンターテイメント」として目で楽しめるものなのです。飲食店の奥の深いところは、このような「演出」にあります。料理はただ味だけを楽しむものではありません。「食事」とは、その「時間」や「空間」を含めて「食事」なのです。食事を楽しむこととは、その時間と空間のすべてを「五感」で楽しむことをいうのです。そのような空間を演出することが、飲食店の醍醐味でもあります。
「食事を演出する」ということは、ただ単純に料理を提供すればいいということではありません。もちろん、ひとつの料理のひとつの味を追求し、たったひとつの芸術を、それが理解できる人が楽しんでくれればいいというスタンスも間違っているわけではありません。それも飲食店のひとつの「結論」であるといえるでしょう。要するに、それを「求める」人がそこにいれば、その数だけの飲食店が存在しうるのです。その料理、その時間に「対価」を支払う人がそこにいれば、その飲食店が成立するのです。そのようなことが現実である証拠に、さまざまな飲食店が同時に立ち並ぶことができています。そして、私たちはただひとつの店に通い詰めるのではなく、日によって気分によって、通う店を変えるのです。だからいろいろな飲食店があってくれないと困るわけです。さまざまな料理をさまざまな空間で楽しむこと、それが私たちの望みである以上、さまざまな飲食店が必要なのです。
料理ができていく様子を楽しむのも私たちの潜在的な望みです。普段は見ることができない、プロの仕事、プロの調理。それは極上のエンターテイメントであり、食事の前の私たちの心を踊らせる絶妙の演出です。飲食店の厨房が見えることは、決して意味の浅いものではないのです。その空間を一気に「プロの現場」へと変身させ、その空間を家庭ではない食事の空間へと変化させるものなのです。料理人の腕さばき、調理の音は、私たちの潜在意識をくすぐり、食事をよりいっそうおいしくする極上のエッセンスなのです。