その店ではいつも同じ味とは限らない
料理の種類によっては、「決まった食材」でなければ「作れない」というものも存在します。日本は士気豊かな国です。そして、その四季それぞれに「旬」の食材があります。野菜も、魚も、肉も、この地球で私たちと同じように生きているものだからです。私たちが気候の影響を受けるように、食材たちも気候の影響を受けるのです。スーパーなどで野菜の値段が上下するのは、「不作」になったり「豊作」になったりするからです。それは気候に影響するものです。時にはみかん畑を台風が連続して直撃し、その年のみかんの収穫が壊滅的になる場合もあるのです。そのようなときは「市場」に出回る「みかん」が少なくなります。ですが、「みかんを食べたい」という私たちの「ニーズ」はその年の台風とは関係がありません。供給に対して需要が多ければ、「価格」は上がるものです。「貴重」なるからです。また、その逆で、日本のありとあらゆる地域で「みかん」が豊作であった場合は、市場でみかんが余ってしまいます。そのような時は「自分のみかん」を買ってもらうために「価格」を下げて消費者に選んでもらう必要があるのです。「供給過多」はそのような理由で価格が釣り上がるのです。
「食物」とは自然のチカラによって育てられ、ときには壊滅的な被害を被ることもあります。私たちの食卓はそのような不確定要素が積み重なって支えられているようなものなのです。もちろん、自然災害に負けないための農家などの工夫もあります。ですが、時にはそのような人間の努力を自然が超えてしまう場合があるのです。そのような時には特定の食材が市場から姿を消すということも考えられるのです。
いつも同じ料理を同じ味で食べたいと願っていても、料理に使われている食材のひとつが不作であったり、例年よりも出来が悪い場合、質が変動してしまうことも多々あるのです。そのようなことを乗り越えて「美味しい」料理を提供し続けるのが「料理人」の義務ではあるのですが、なかには限界もあるかもしれません。例えば「キャベツロール」を作るためには必ず「キャベツ」が必要ですが、その年に「キャベツ」が全滅であった場合、市場からはキャベツが姿を消します。その店舗はそれでもキャベツロールを提供するのであれば、日本のキャベツではなく、海外のキャベツを独自に輸入するかもしれません。ですが、日本のものではないため、味は変わるでしょう。
そのような変化を「稀」として楽しむか、「嫌悪」するかは客である私たち次第ではあるのですが、常に同じものが食べられるというのは現在のシステム化された食料供給が招いた「誤解」です。自然の上に等しく生きているのは、人間も作物も変わりないのですから、自然の影響を受けないわけがないのです。そのようなことを少し考えてみれば、いつも同じ味を提供しようとしている各飲食店の努力は相当なものです。そのような努力の恩恵をうけ、いつも美味しい食事が楽しめるということに感謝してみると、いつものお店の「見え方」も少し変わってくるかもしれません。各食材がその年に豊作だったのか不作だったのかなどは、私たちには関係のないことと感じるのは、供給を安定的にしようとしている各事業者の努力のおかけでもあるのです。